2005年6月25日
タイラーに寄せて
母キムより・・・
タイラーは天からの贈り物でした。
彼は明るい光であり、笑いの源。
彼は私たちに、純真無垢で、今この時に浸って生きる子どもだけが持つことのできる、知恵と喜びを教えてくれました。
タイラーは確かに苦しみました。彼はきっと誰もが長い人生においても経験することは無いであろう身体的苦痛を、たった2年の間に経験しました。
でも、タイラーの存在をその苦しみのみで語るとしたら、彼の思い出を分かち合うために皆さんをここへ呼び寄せることはできなかったと思います。
事実、タイラーは多くの人が描く「がんと戦いながら2年間も入院生活を送る赤ちゃん」というイメージとはまったくちがうものを私たちに見せてくれました。
彼は悲壮ではなかったし、他のごく普通のどもたちのように、駄々をこねたり、ぐずったりすることもありませんでした。彼は弱々しくも哀れでもありません。最後の一週間以外(このときばかりは私たち家族の誰もが涙なくしては居られなかったのですが)は誰も彼を見て、同情の涙を流すことはありませんでした。
そう
タイラーは純粋な慈しみと純粋な輝きにあふれていました。
そして彼のその笑顔は多くの人を感心させたことと思います。
もし私がタイラーから学んだことを皆さんと分かち合わなければ、彼はきっと私のことを怒るでしょう。それらすべては40歳にもなろうかと言う一人前の女性であれば「しっかりと前を向き何が大切か」ということをタイラーに思い出させてもらうまでもなく、わかっていなくてはいけないことでした。
とにかく、赤ん坊のタイちゃんは赤ちゃんでありながらタイラー先生になりました。
これから申し上げることはタイラーのおかげで私が学び、迷い、そしてまた気づいたことのほんの一部です。
レッスンNo.1:子どもの為にすることはすべて何物にもかえがたい価値がある。
もしこれまでの2年間――心配や、来る日も来る日も病院に通うことから来る疲労、行き詰ったときに世界中の医師にメールを送り治療の可能性を模索すること、夜通し白血病や骨髄移植に関する書物を読むと言った私たちの生活を根底から覆してしまうような2年間――を消し去ってしまうことができたとしたら・・・私はそうするでしょうか? いえ、そうはしないと思います。
ある午後、私たちの愛する、ニコニコしたタイラーと砧公園を散歩しながら、ブランコに乗ったり、鳥を指差したり、大きな噴水で水が飛び散るのを見たり・・・そう、あの時間、それは本当に何物にも換えがたい時間でした。
レッスンNo.2: Carpe Diem(今を楽しみなさい)
命題No.1: 現在の場所でできるだけハッピーでいること。
タイラーは生後1ヶ月にも満たないときに救急車で国立成育医療センター(現、独立行政法人 国立成育医療研究センター)へ搬送されました。そのとき医師は、もし(と言うより万が一)、幸運にしてあと3日もてば(そのこと自体が疑わしいかったのですが)先々9ヶ月から1年は入院することになるでしょうと言いました。それはその後2年あまりになりました。タイラーが入院していた病院は明るく楽しげな雰囲気のある綺麗なところでありましたが、例えそうだとしても、どうしたらたった2歳の子供が家族のいる住み慣れた心地の良い自分の家ではなく、看護師や医師、ビービーと音を立てる機械や点滴、1日に2回も飲まなくてはいけないオレンジ色のまずい薬に囲まれてハッピーでいられるでしょう。
タイラーを見て!彼はいつもそのときを楽しんでいたのです!
病棟を医師や看護師に手を振りながら走り回り、お昼や夕飯の時間には病棟のドアのところで待ちながら食事のワゴンが来るとベッドの上で飛び跳ねながら指差して、8階の窓から下を見て車やバスが通りかかると“ブーブー”と指を指して叫んでいたり…。すべてのなんでもないことがタイラーにとっては喜びでした。
命題No.2: 将来の準備はしても、今を生きる。
あなたは自分が風邪薬の箱に書いてある副作用を読んだらどうするか。“そうそう、これはこの薬を飲んだ人のうちたった1000分の1の人にしか起こらないことだわ(私がそれにあたるはず無いわ)”と思うでしょう。でも、タイラーは常にこの1000分の1でした。
何一つスムーズに進まなかった。タイラーは14ヶ月のうちに3回も感染症に罹り人工呼吸器をつけてICUに入らなくてはなりませんでした。そのたびに看護師が「またちょっと山がありますね」「またタイちゃん頑張らなくちゃ」と言いました。「サウンドオブミュージック」はタイラーに聞かせてあげるのに私の一番のお気に入りCDだったのですが、医師はタイラーがその歌詞のとおりすべての山を登っていると冗談を言うほどでした。あまりにも現実的過ぎますが。
この2年間のどの時点でも、タイラーが直面した医学的な挑戦を冷静に理解することは、一言で言えば遣る瀬無いないものでした。私が5歩先を見て「よし、この目の前の問題は片付けられる、でも、次はどうする?」と考えることは自然なことだったと思います。でも、それは大して役に立たないことでした。なぜなら、タイラーは良いにつけ、悪いにつけ、その袖口に必ず驚きを隠していたのです(マジシャンのように)。唯一の解決法はタイラーと常に一緒にいることでした。無邪気な彼には未来など無いに等しかったのです。彼はまさにその瞬間を生きていたので、これから先の事に対する私の悲観的考えや恐れをほとんど洗い流してくれました。タイラーは今このときを喜び、一歩ずつゆっくりと進むという選択肢しか与えてくれませんでした。
命題No.3: 昨日のことは昨日のこと
病院で朝一番にタイラーを見た人は皆同じような印象を持つでしょう。タイラーはベッドの横によじ登り、立ち上がり、フーフーいいながらあなたが会いに来てくれたことへのあふれんばかりの喜びを飛び跳ねながら表しているでしょう。昨日の晩彼を一人病院に残し帰宅して、家のふかふかのベッドで眠ったことに機嫌を悪くしていることがありましたか?朝7:00の朝食の時間に一緒にいて食べさせてあげなかったことを怒った事がありましたか?朝、自宅のベッドでお姉さんのナタリーを抱き寄せていたことにやきもちを焼いたことがありますか?
そんなことは決してありませんでした。タイラーにとっては毎朝が、白紙から始まる、優しい微笑みやぎゅうっと抱きしめてくれることを祝福するための新しい日なのです。
レッスンNo.3: 感謝しましょう、そしてもっと感謝しましょう。
発症から最初の1年間、私は病気を治すことに専念していました。もし、病気が治り人並みの人生を送ることができるなら、私は全世界に死ぬまで感謝したでしょう
そして昨年(2004年)9月、骨髄移植後に再発したとき、タイラーの生存率は30%から10%以下に落ちてしまいました。私は裏切られた気持ちでした。1年間のつらい闘病生活が水の泡に。どうしてこんなことが私たちに。
でも、そのとき私は学んだのです。感謝をするという本当の意味を。
誰もが自分が無条件でその全てを純粋に愛している人がまず間違いなく死んでしまうと言う現実に直面したら、その場から逃げ出してしまいたくなるでしょう。そのことが自分をどれほど傷つけるかと言うことを考えるとそこから距離を置き、自分自身を守りたいと思うことでしょう。でも、私がタイラーに背を向けることができますか?2004年9月から2005年4月までの9ヶ月間、集中して行われる化学療法の期間を除いてタイラーは元気でした。1週間のうち5日間は家にいることができましたし、公園に行ったり、駒場東大前駅を通過する電車を見たり、姉と遊んだり、手にいっぱいのうどんを握って食べることができました。
去年の9月、タイラーの担当小児科医の塩田先生は、私の手をとり、目を見つめながらおっしゃいました、タイラーはまず間違えなく助からないと。でも、彼女はこうも言いました、これからの数ヶ月はタイラーと私にとって本当にとても特別な時間になるだろうと。それはまさにそのとおりでした。それは本当にすばらしい、かけがえのない、完璧な贈り物でした。



