サー・ティム・ライスのインタビュー, 作詞家
タイラー基金(以下TF): あなたはミュージカルでお仕事を始められました。どういったご経験をなさったか話してくれますか。
サー・ティム・ライス(以下STR): それは大変な質問ですね---どうやって始めたのかははっきりしないのです。何か自分で意図していたわけではなかった。若い頃にアンドリュー・ロイド・ウェバー(作曲家:「キャッツ」「オペラ座の怪人」など)に出会えたのはラッキーでした。彼はミュージカルの曲作りを志望していたが私はそうではなかった。私は、ミュージカルよりロックンロールといったポピュラーなものに興味がありましてね。しかし、両親のレコードコレクションを通じてミュージカルの実用的な知識を得たのです。アンドリューと会った時、劇場についてあまり知らなかったことがよかったと思います。お陰で、独創的なものが与えられたのです。
TF: どのようなプロセスを経て作詞家になったのですか。
STR: (作詞家になるのに)明確なルールはないが、もしミュージカルを書くなら、まずストーリーをつかむことが大切で、これは言葉よりずっと重要です。いいストーリーが手に入ったら、それを相手に伝わる方法でプロットを組み立てる。それが出来たら、作曲家はそれぞれの場面に則して曲を書いていく。私はその曲に歌詞をつける。だから、私の仕事は初めと終わりで、真中に音楽をはさんだサンドイッチのようなものなのです。
TF: では、作曲家と作詞家はストーリーとプロットでコラボレートするのですね。
STR: それは場合によります。アンドリューと仕事をする場合、彼は確かに話を作り出すのにいい貢献をしてくれました。「ヨゼフと不思議なドリームコート」(アンドリュー・ロイド・ウェバーとティム・ライスのコンビが、旧約聖書のヨセフの物語をミュージカル用に書いた作品)を作ったとき、ストーリーは書きませんでした。それは旧約聖書に書かれていますからね。しかし、ストーリーのどの局面を取り入れるかを知る必要があります。そしてアンドリューがそれをつかんで曲を書くのです。多くの作曲家が、曲を創り出す前にどんな場面の曲を書くのかを知りたがるということを私は知っています。
TF: 他のに比べて書くのが困難だった歌詞はありますか。
STR: 私にとっては、滑稽な歌詞、あるいはエンタテインメントの形でストーリーを伝えることの方が、シリアスな愛の歌詞を書くより易しいと思います。ラブソングというのは、いままで何度も歌われてきましたからね。自分の言葉で「アイ・ラブ・ユー」と言うのがどんなに難しいかについて多くの歌が作られてきました。滑稽な歌詞を書くとしたら、その方が作りやすいのです。もっと広範囲な言語、あらゆる言葉、打ち解けた言葉、スラング、珍しい言葉、ロマンティックじゃない言葉をたくさん使えますから。ラブソングでは、かなり窮屈な領域に閉じ込められてしまいます。それにラブソングはたいていの場合は音節の数がうんと少ないし、とても簡潔にしないと難しい。でも、それがちゃんとできたら、それはとても満足です。
TF: その後、ディズニーとの仕事がきたのですね。それ以前の仕事と比べてどんな違いがありましたか。
STR: 映画が主流でしたから明らかに違いました。とてもよく曲が書けたと思ったので気に入っていました。その他には、 エルトン・ジョンとコラボレートしたことです。エルトンは、私が一緒に仕事をした人でまず初めに歌詞を欲しがったただ一人の大物作曲家です。彼の大ヒット曲はすべてバーニー・タウピン とのパートナーシップの中で作られ、バーニーが最初に歌詞を提供しています。それはとても大きな喜びでした。私にできること、つまり1枚の白紙に言葉を書く。それを彼に送ると、彼は私が書いた歌詞に曲をつけたデモテープを送り返してくる。
TF: アンドリュー・ロイド・ウェバーとエルトン・ジョンの名前があがりました。どんな人たちとの仕事がとくに楽しかったでしょうか。
STR: 一人だけ選び出そうとは思わない、できそうもありませんね。私はとてもラッキーで、(一緒に仕事をして楽しかった人に)偉大な作曲家、アラン・メンケンがいます。それぞれ特別な強さを持っている人たちと一緒に仕事ができてラッキーでした。エルトンとの仕事では、彼が創り出した「ライオンキング」にはもっとロックの曲が必要だったと思います。ABBAの元メンバーであるビョルンとベニー は、オペラ風のミュージカル「チェス」を作るとき、ほんとうに素晴らしかった。アラン・メンケンは伝統的な手法ではおそらくもっとも秀でたブロードウェイの作曲家でしょう。卓越した才気ある現代の作曲家です。もちろん、アンドリュー・ロイド・ウェバーとの仕事もとても楽しかった。仕事を始めたのが一緒だったし、ほんとうは何をしているのか分からなくて、だからアンドリューとの仕事を大いに楽しみました。何と言っても、私たちは若かったし、一緒に仕事を始めたのですから。職業に就いてしばらくすると、楽しいこともあるけど、ウンザリすることもあるものです。
TF: アンドリューとお仕事を始められた頃、インスピレーションやお手本として、リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタインのようなミュージカルの大物の作詞・作曲家を手本としましたか。
STR: そうだと思いますが、でもそれほどではありませんでした。彼らの舞台をあまり多くは見ていなかったのです。「マイフェアレディー」は一度も見たことがありませんでした。でも曲はよく知っていて、とくに歌詞が好きでした。ほかに受けた影響としては、マイケル・フランダースのような従来の舞台ではないものもありました。彼は、1950年代後半から60年代前半にかけて、「マッド・マッド・グロリアス・マッド」のような素晴らしい曲を数多く書きました。私は、W・S・ギルバート(オペラの台本作家)とアーサー・サリバン(作曲家)に影響を受けたと思います。また、私の主な知識はロックンロールから来て、そこにはボブ・ディラン、ポール・サイモン、エディ・コクラン、エヴァリ・ブラザースのような偉大な作詞家たちがいました。彼らは、才気とウィットに富んだ優れた歌詞をもっていて、その多くがブロードウェイの舞台で上演されました。
TF: 現在あるいは将来のプロジェクトについて、何か話して下さることはありますか。
STR: このあとすぐに、ハンガリーに映画撮影を見に行くつもりです。「くるみ割り人形」という題名の映画の仕事をしています。リメーク作品で私が曲を書きました。「くるみ割り人形」の話をリメークし、ハンガリーで撮影した大型作品で、アンドレイ・コンチャロヴスキーという名の素晴らしい監督によって制作されました。それと、外交官ニッコロ・マキャヴェリ(1469-1527)の話に基づいた私自身の作品を手がけています。音楽に集中するよう、ストーリーラインを完成させた舞台に行かなくてはなりません。
TF: あなたがクリケットの大ファンであることは、よく知られています。デニス・リリー(オーストラリアの元クリケットの大物選手)が東京の私たちのところに来ることになっています。彼にお会いになったことはありますか。
STR: あります。感じのいい男で、とてもワクワクします。彼に会うのをとても楽しみにしています。
TF: あなたのチーム「ハートエイクス」の調子はどうですか。
STR: 最終戦を終えたばかりです。残念ながら負けました。しかし、私たちはとてもいい夏を過ごしました。上々です。
TF: 以前、日本にいらしたことはありますか。
STR: はい。1955年、私が10歳のとき最初に来ました。父が航空機会社の仕事をしていて、日本に10ヵ月ほど配属されたのです。とても楽しかった。ですから私は若いときに東京をよく知るようになりました。その後、東京での様々なショーのために数回来ています。
TF: 今回の旅行は楽しみにしていらっしゃいますか。
STR: もちろんです。連絡を取りたい何人かの仲間が東京にいるし、あなたの素晴らしいタイラー基金の皆さんお一人お一人とお会いするのを楽しみにしています。
TF: 私たちは(11月10日の)シャインオンアイドル!にワクワクしています。今まで18人にオーディションをしました。最終選考で8人に絞ります。あなたがどういう審判を下すか気になります。なにかヒントをくれませんか。
STR: 私はうんと冷酷で無情な暴君か、あるいは、騙されやすい老人か、それは分かりません。
TF: ありがとうございました、数週後にお会いしましょう。
写真、その他資料は http://www.timrice.co.uk/から許可を頂き使用しています。 |
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